2015年01月29日
高松市まちづくり学校「地域づくりチャレンジ塾」講座4
第4回講座は、高松港から8km北にある「男木島」(おぎしま)で開催されました。
会場は、「男木島の魂」(ジャウメ・プレンサ作)。
フェリーのキップ売り場で、待合室で、交流の場。
そんな瀬戸内国際芸術祭の作品が会場です。

写真だと良い天気のように見えますが、この日は寒い日で、風も強く、フェリーは大揺れ。
島根県在住の尾野塾長、「隠岐汽船なみの揺れ」と言われましたが、
これが序の口だったというのが、最後に判明。でも、それは最後の最後(苦笑

まだ高松港を出港したばかりですが、この波。
フェリーが遅れて到着したので、すぐに開始。
男木島に関わって活動している方が、次々と登場されました。
****************
*まずは、「男木地区コミュニティ協議会」の大石さんが、男木島を紹介。

男木島の人口は、男性87人、女性99人の186人。平均年齢は65.6歳(2014年12月)。
1年前、2013年の平均年齢は69歳。
小中学生や幼児が増えて、平均年齢が下がってきてるそうです。
そんな大石さんの“マイプラン”は、「男木島ミュージックフェス2015(仮)」の開催。
フェリー「めおん」での船上ライブ、港での野外ライブ、島内散策、バザー、男木特産品販売などで、男木島を一人でも多くの人に知って貰うこと。
そして、男木島の魅力を発見してもらい、男木島のファン、リピーターになってもらい、移住者につなげたい。そんなプランです。
*続いて、「オンバ・ファクトリー」の大島さんと奥さま。

オンバ・ファクトリー。
坂道や細い路地が多い男木島で使われている「オンバ」(乳母車)に
カラフルなペイントを施し、島の風景を賑やかに彩る。
そんな、瀬戸内国際芸術祭の活動です。
2010年の瀬戸国際内芸術祭をキッカケに男木島に関わることになった大島さんご夫婦。
関わり始めた当時の男木島は、住民の過半数が75歳以上で、釣り人しか来ない島。
“孤島”だと感じられたそうです。
そんな男木島が芸術祭の会場になり、
大島さんのようなアーティストが来られ、多くの方が作品制作や運営で関わり、
そして、会期中、実に大勢の方が島に来られました。
そんな、2010年の芸術祭が終わった、交流会での、島民の一言。
「あんたらぁも、もう、来んようになるんか。」
その5か月後の2011年3月には、最後の中学生が卒業し、「男木小・中学校」は休校に。
男木島が無人島にならないようにしよう。
ご夫婦で、「10年後の学校再開」を目標にされ、島民になられたそうです。
まず、人として信頼してもらうことが大事。
島で生活していると、“それ、おかしいやろ”と思うこと、溢れるようにあるけど、
まずは従う。自分流ではなく、島流を大切にする。
島流に従ってやってから、“こうしたらどうやろ”と提案すると、驚くほどあっさりと受け止めてくれる。
そして、「男木deあそび隊」を結成。
観光客に来てもらうのではなく、男木島が好きな人たちが集まって男木島で遊ぶ。
そんなワークショップとかのイベントを開催。
島の人には、“何もないことはすばらしいこと”を伝えることを意識して実施。
提案した民泊も開業。
そして、2014年4月、「男木小・中学校」が再開。
UIターンも、2014年は19人に。
「若い人が住み出したら、お年寄りが安心してるのがわかる」
「“新しいものをつくる”のは難しいけど、
“昔、つくっていたものを、カタチを変えて復活する”ことはできる」と大島さん。
現在は、週の3日は高松で講師、週の4日は男木島で、オンバをつくったり、ワクワクしながら島の活動を手伝われているそうです。
*男木島チームの最後は、IUターンの「福井さんご夫婦」と「橋本さん」。

右端で座られているのが福井さん。
その左が橋本さん、福井さん奥さん。
福井さんは、男木島のご出身。
高校進学で男木島を離れ、大阪で働かれていた福井さん。
2013年の芸術祭で男木島へ戻ってきた時、小・中学校が休校になっていることを知ります。
「いつかそうなるだろうとは思っていたけど、目の当たりにしたら、ショックで。」
このままでは島が消滅すると思った福井さんの仕事はデザイン。奥さまの仕事はIT系。
パソコンがあれば仕事ができると、男木島と大阪との2拠点生活をおくられます。
そして、学校再開に向けて雇用を産み出せないかと、特産品づくりに着手。
「昔の男木島は底引き網漁が盛んだった。値段は付かなかったけど、エビが大量にとれていた。これをなんとかできないか」と。無添加の干しエビを商品化。
これが好評で、現在は品切れ状態。2015年には、1人雇用できるかも知れないそうです。
一方の橋本さんは、2013年の芸術祭で「男気プロジェクト」の作品をつくられた「TEAM 男気」(ちーむ おぎ)の作家さん。
芸術祭をキッカケに男木島に移住して、現在は“漁師の見習い中”だそうで、
なんか、皆さん、スゴイです。
****************
男木島チームの話をうかがっての、尾野塾長、眞鍋副塾長のコメント。
○200人弱の島で、移住者が1年で19人って、スゴイですねぇ。
島はもう高齢化してるから、これから若返っていく可能性がありますよね。
○移住は、年に1~2回来るファンが100~200人に増えてくると、1人移住する。
そんな傾向だと感じてるんですが、ファンづくりがすごいですね。
○チーム戦ですね。人がつながり、みんなが自然と助け合ってる“チーム感”が良いですね。

皆さんのお話を伺っているうちに、天気が良くなってきました。
そして、今日のプレゼン、もう1人は眞鍋副塾長です。
****************
東京で勤められていた眞鍋さん。
リーマンショックで会社が倒産・失業した後、渡米されるのですが、
渡米の前の数ヶ月、十数年ぶりに実家で生活されたそうです。その時、
「あれ? マスコミは、地方は疲弊してると言ってるけど、
地方の方が生き生きしてるじゃない。笑顔が多いじゃない。」
と感じられたそうです。
「都会は、全体としては人口も多いし、GDPも多い。でも、人は眉間にシワを寄せてる。」
地方や女性の時代だと思い、渡米後、東京で地元発信をされます。
そして、農家の作り手さんと出会います。
「使命感があるし、熱い想いがある。カッコいい。」
そして、<地元に戻る>、<地域おこしをなりわいにしよう>と決められたそうです。

今回は、時間が短かったので、要点をかいつまんでお話いただきました。
以下、そのエッセンスを。
【6次産業化】
よく6次産業化っていいますけど、家族経営の農家さんが2次、3次もやるって難しいんじゃないかと思うんです。
農家さんには1次、作り手に専念してもらって、自分が2次、3次を担当する。
そして、<チームで6次産業化>すれば良いと思ってやってます。
【田舎には仕事がない?】
仕事っていうのは、<困りごとの解決>です。
田舎には<困りごと>がいっぱいあります。だから仕事はいっぱいある。
ただ、都会とは構造が違うんです。
都会は、<困りごとがタテに集積>しています。だから<職になる>んです。
例えば、東京の駅。大きな駅には必ず“靴の修理屋さん”があります。
あれ、駅の階段とかでハイヒールが折れてしまう人が大勢いるから修理してるんです。
だから、駅で靴の修理をするだけで職になるんです。
でもこれ、田舎では成り立ちません。
田舎では、<いろんなことをやる>ことが必要なんです。
1つのビジネスプラン、職じゃなく、いろんなことをやって<何屋かわからない>。
そして、必ずしも<お金>になるとは限らない。
<ミカン>になるかも知れないし、<1週間後、軒先に大根>が置かれてるかも知れない。
これでOKなんです。
【地域おこし協力隊へ言っていること】
地域おこし協力隊に何か言ってくれという機会があって、その時、話したこと。
「世の中に“答え”はない。
“答え”はつくるもの。
それを“答え”と認めてもらうよう、努力する。」
小豆島に移住する時、東京の仲間は、みんな反対してました。
でも、今、みんなに“いいね”と言われます。
僕は手に職がありません。
資金調達や仲間づくりをしようと思って動いたこともありません。
ただ、<話して>、<旗を立てて>、<動く>。
すると、仲間が集まってきます。
「最後にマジックワードを。<人生は祭り>だ。」
****************
実は、もっと具体的なキーワードもご紹介いただいたんですが、省略させていただきます。(ごめんなさい)
そして、グループワークへ。
塾生のプランに、大島さんからもコメントをいただきました。

ところで、全国8箇所で塾をやられている尾野塾長、「4回目ぐらいが一番キツイ」と言われてました。
実際、今回に向けて悩まれた塾生の方、少なくなかったようですが、
そこを乗り越えて、吹っ切れた(昇華した)方、多くいらっしゃったようです。
****************
そして交流会。
ですが、ココは男木島。
交流会に参加する方は、交流会の後、チャーターした海上タクシーで帰りますが、
まず、交流会に参加できない方が帰られる、フェリーの最終便をお見送り。

島で最終便の船を見送る。なかなかレアな体験。
そして、交流会場の「島テーブル」へ。

まず、捌いてくれているイノシシの肉を自分たちで切って、
大きな生け簀に入っているタイ、サヨリ、牡蠣などなどを焼いてのバーベキュー。

コレ、塾生の波多さんにお願いして実現した、
「男木地区コミュニティ協議会プロデュース」のバーベキュー。
これもレアな体験。
大感謝 です!
会場は、「男木島の魂」(ジャウメ・プレンサ作)。
フェリーのキップ売り場で、待合室で、交流の場。
そんな瀬戸内国際芸術祭の作品が会場です。

写真だと良い天気のように見えますが、この日は寒い日で、風も強く、フェリーは大揺れ。
島根県在住の尾野塾長、「隠岐汽船なみの揺れ」と言われましたが、
これが序の口だったというのが、最後に判明。でも、それは最後の最後(苦笑

まだ高松港を出港したばかりですが、この波。
フェリーが遅れて到着したので、すぐに開始。
男木島に関わって活動している方が、次々と登場されました。
****************
*まずは、「男木地区コミュニティ協議会」の大石さんが、男木島を紹介。

男木島の人口は、男性87人、女性99人の186人。平均年齢は65.6歳(2014年12月)。
1年前、2013年の平均年齢は69歳。
小中学生や幼児が増えて、平均年齢が下がってきてるそうです。
そんな大石さんの“マイプラン”は、「男木島ミュージックフェス2015(仮)」の開催。
フェリー「めおん」での船上ライブ、港での野外ライブ、島内散策、バザー、男木特産品販売などで、男木島を一人でも多くの人に知って貰うこと。
そして、男木島の魅力を発見してもらい、男木島のファン、リピーターになってもらい、移住者につなげたい。そんなプランです。
*続いて、「オンバ・ファクトリー」の大島さんと奥さま。
オンバ・ファクトリー。
坂道や細い路地が多い男木島で使われている「オンバ」(乳母車)に
カラフルなペイントを施し、島の風景を賑やかに彩る。
そんな、瀬戸内国際芸術祭の活動です。
2010年の瀬戸国際内芸術祭をキッカケに男木島に関わることになった大島さんご夫婦。
関わり始めた当時の男木島は、住民の過半数が75歳以上で、釣り人しか来ない島。
“孤島”だと感じられたそうです。
そんな男木島が芸術祭の会場になり、
大島さんのようなアーティストが来られ、多くの方が作品制作や運営で関わり、
そして、会期中、実に大勢の方が島に来られました。
そんな、2010年の芸術祭が終わった、交流会での、島民の一言。
「あんたらぁも、もう、来んようになるんか。」
その5か月後の2011年3月には、最後の中学生が卒業し、「男木小・中学校」は休校に。
男木島が無人島にならないようにしよう。
ご夫婦で、「10年後の学校再開」を目標にされ、島民になられたそうです。
まず、人として信頼してもらうことが大事。
島で生活していると、“それ、おかしいやろ”と思うこと、溢れるようにあるけど、
まずは従う。自分流ではなく、島流を大切にする。
島流に従ってやってから、“こうしたらどうやろ”と提案すると、驚くほどあっさりと受け止めてくれる。
そして、「男木deあそび隊」を結成。
観光客に来てもらうのではなく、男木島が好きな人たちが集まって男木島で遊ぶ。
そんなワークショップとかのイベントを開催。
島の人には、“何もないことはすばらしいこと”を伝えることを意識して実施。
提案した民泊も開業。
そして、2014年4月、「男木小・中学校」が再開。
UIターンも、2014年は19人に。
「若い人が住み出したら、お年寄りが安心してるのがわかる」
「“新しいものをつくる”のは難しいけど、
“昔、つくっていたものを、カタチを変えて復活する”ことはできる」と大島さん。
現在は、週の3日は高松で講師、週の4日は男木島で、オンバをつくったり、ワクワクしながら島の活動を手伝われているそうです。
*男木島チームの最後は、IUターンの「福井さんご夫婦」と「橋本さん」。
右端で座られているのが福井さん。
その左が橋本さん、福井さん奥さん。
福井さんは、男木島のご出身。
高校進学で男木島を離れ、大阪で働かれていた福井さん。
2013年の芸術祭で男木島へ戻ってきた時、小・中学校が休校になっていることを知ります。
「いつかそうなるだろうとは思っていたけど、目の当たりにしたら、ショックで。」
このままでは島が消滅すると思った福井さんの仕事はデザイン。奥さまの仕事はIT系。
パソコンがあれば仕事ができると、男木島と大阪との2拠点生活をおくられます。
そして、学校再開に向けて雇用を産み出せないかと、特産品づくりに着手。
「昔の男木島は底引き網漁が盛んだった。値段は付かなかったけど、エビが大量にとれていた。これをなんとかできないか」と。無添加の干しエビを商品化。
これが好評で、現在は品切れ状態。2015年には、1人雇用できるかも知れないそうです。
一方の橋本さんは、2013年の芸術祭で「男気プロジェクト」の作品をつくられた「TEAM 男気」(ちーむ おぎ)の作家さん。
芸術祭をキッカケに男木島に移住して、現在は“漁師の見習い中”だそうで、
なんか、皆さん、スゴイです。
****************
男木島チームの話をうかがっての、尾野塾長、眞鍋副塾長のコメント。
○200人弱の島で、移住者が1年で19人って、スゴイですねぇ。
島はもう高齢化してるから、これから若返っていく可能性がありますよね。
○移住は、年に1~2回来るファンが100~200人に増えてくると、1人移住する。
そんな傾向だと感じてるんですが、ファンづくりがすごいですね。
○チーム戦ですね。人がつながり、みんなが自然と助け合ってる“チーム感”が良いですね。

皆さんのお話を伺っているうちに、天気が良くなってきました。
そして、今日のプレゼン、もう1人は眞鍋副塾長です。
****************
東京で勤められていた眞鍋さん。
リーマンショックで会社が倒産・失業した後、渡米されるのですが、
渡米の前の数ヶ月、十数年ぶりに実家で生活されたそうです。その時、
「あれ? マスコミは、地方は疲弊してると言ってるけど、
地方の方が生き生きしてるじゃない。笑顔が多いじゃない。」
と感じられたそうです。
「都会は、全体としては人口も多いし、GDPも多い。でも、人は眉間にシワを寄せてる。」
地方や女性の時代だと思い、渡米後、東京で地元発信をされます。
そして、農家の作り手さんと出会います。
「使命感があるし、熱い想いがある。カッコいい。」
そして、<地元に戻る>、<地域おこしをなりわいにしよう>と決められたそうです。

今回は、時間が短かったので、要点をかいつまんでお話いただきました。
以下、そのエッセンスを。
【6次産業化】
よく6次産業化っていいますけど、家族経営の農家さんが2次、3次もやるって難しいんじゃないかと思うんです。
農家さんには1次、作り手に専念してもらって、自分が2次、3次を担当する。
そして、<チームで6次産業化>すれば良いと思ってやってます。
【田舎には仕事がない?】
仕事っていうのは、<困りごとの解決>です。
田舎には<困りごと>がいっぱいあります。だから仕事はいっぱいある。
ただ、都会とは構造が違うんです。
都会は、<困りごとがタテに集積>しています。だから<職になる>んです。
例えば、東京の駅。大きな駅には必ず“靴の修理屋さん”があります。
あれ、駅の階段とかでハイヒールが折れてしまう人が大勢いるから修理してるんです。
だから、駅で靴の修理をするだけで職になるんです。
でもこれ、田舎では成り立ちません。
田舎では、<いろんなことをやる>ことが必要なんです。
1つのビジネスプラン、職じゃなく、いろんなことをやって<何屋かわからない>。
そして、必ずしも<お金>になるとは限らない。
<ミカン>になるかも知れないし、<1週間後、軒先に大根>が置かれてるかも知れない。
これでOKなんです。
【地域おこし協力隊へ言っていること】
地域おこし協力隊に何か言ってくれという機会があって、その時、話したこと。
「世の中に“答え”はない。
“答え”はつくるもの。
それを“答え”と認めてもらうよう、努力する。」
小豆島に移住する時、東京の仲間は、みんな反対してました。
でも、今、みんなに“いいね”と言われます。
僕は手に職がありません。
資金調達や仲間づくりをしようと思って動いたこともありません。
ただ、<話して>、<旗を立てて>、<動く>。
すると、仲間が集まってきます。
「最後にマジックワードを。<人生は祭り>だ。」
****************
実は、もっと具体的なキーワードもご紹介いただいたんですが、省略させていただきます。(ごめんなさい)
そして、グループワークへ。
塾生のプランに、大島さんからもコメントをいただきました。

ところで、全国8箇所で塾をやられている尾野塾長、「4回目ぐらいが一番キツイ」と言われてました。
実際、今回に向けて悩まれた塾生の方、少なくなかったようですが、
そこを乗り越えて、吹っ切れた(昇華した)方、多くいらっしゃったようです。
****************
そして交流会。
ですが、ココは男木島。
交流会に参加する方は、交流会の後、チャーターした海上タクシーで帰りますが、
まず、交流会に参加できない方が帰られる、フェリーの最終便をお見送り。

島で最終便の船を見送る。なかなかレアな体験。
そして、交流会場の「島テーブル」へ。

まず、捌いてくれているイノシシの肉を自分たちで切って、
大きな生け簀に入っているタイ、サヨリ、牡蠣などなどを焼いてのバーベキュー。

コレ、塾生の波多さんにお願いして実現した、
「男木地区コミュニティ協議会プロデュース」のバーベキュー。
これもレアな体験。
大感謝 です!